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記事一覧

(十五)柿本人麻呂の真実を追う

 あゝ あの壬申の乱を共に戦った高市皇子が死す。高市皇子尊の城上の殯宮の柿本朝臣人麻呂の作れる歌 。持統天皇即位10年7月10日。高市皇子尊が薨去(こうきょ)された。あまりに若い43歳でした。しかし高市皇子は何故亡くなったのだろうか高市皇子の悲願だった藤原京建設はそれが最終目的ではない。あくまで将来の外国との対等外交を目指した都城の建設だったはずである。その高市皇子が自殺することは有り得ない、...

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無庵詩集54

 舟にのって空を飛ぶ                                                  悲しい歌が聞こえてくる                    ぼくたちは歌うことさえ臆病だ                      ...

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(六) 菅原道真と坂出

 道真の漢詩について私が初めて道真の漢詩に触れたのが坂出市松山で詠った「晩春の松山館に遊ぶ」でした。大学生だった頃鎌田醤油の敷地に建てられていた鉄筋コンクリート造3階建の一階に図書館がありそこで読んだのがこの道真の「晩春の松山館に遊ぶ」でした。鎌田醤油といえば「鎌田だし醤油」が有名ですが鎌田醤油を育てた鎌田勝太郎は坂出塩業の父といわれ福沢諭吉に師事しており文化活動にも熱心でした。その鎌田勝太郎...

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無庵詩集53

    花の海                    遠くで咲いていた花たちが                    突然僕の周りで漂い始め                    ぼくは花の中で溺れてゆく                          ...

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(十四)柿本人麻呂の真実を追う

 引き続き人麻呂は行幸歌と並び多くの挽歌を任されている人麻呂挽歌 草壁皇子(くさかべのみこ)の殯宮のときに、柿本人麻呂の作った歌167 天地(あめつち)の 初めの時の ひさかたの 天の河原に 八百万(やおよろず) 千万(ちよろず)神の 神集(かむつど)ひ 集ひいまして 神(かむ)ばかり はかりし時に 天照らす 日女(ひるめ)の命(みこと) 天(あめ)をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地...

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無庵詩集52

 夢と愛 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ぼ...

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(五)菅原道真と坂出

弘仁のモダニズム 淳和天皇(じゅんなてんのう)、786年〈延暦5年〉から仁明天皇(にんみょうてんのう、850年までを弘仁のモダニズムとよばれ「承和の転換」とされている。承和の転換 承和への憧憬日本王朝は三〇年の政治的安定を享受し、「弘仁のモダニズ」を欄熟きせていた。仁明天皇の時代(八三三~八五〇)である。そして安定と欄熟のさなかに、次代への転換が用意された。安定と欄熟こそが転換のかたちを決定づけたと言える...

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無庵詩集51

仲良しおばあさん 3人掛けのベンチにひとりのおばあさんが座っている        そこへおばあさんがひとりやってきた          まあまあ 奥さんここへお座り3人掛けのベンチに2人のおばあさんが座っているそこへおばあさんがひとりやってきた          ...

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(十三)柿本人麻呂の真実を追う

  弓削皇子(ゆげのみこ)行幸歌巻2-111 / 額田王 巻2-112原文 幸于吉野宮時、弓削皇子贈与額田王歌古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴済遊久吉野の宮に幸(いでま)しし時に、弓削皇子の額田王に贈り与へたる歌 古に 恋ふる鳥かも 弓絃葉(ゆづるは)の  御井(みゐ)の上より 鳴き渡り行く訳 昔を偲んでいる鳥なのでしょうか、弓絃葉の御井の上を鳴き渡ってゆきます。原文    幸于吉野宮時、弓削皇子贈与額...

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無庵詩集50

 マイム マイム マイム    ただひたすら追いかけた遠い日の追憶の航海    ぼくたちはその夕べの悲しみを歌うでもなく      ぼくたちの前に現れたあの夕焼雲のように   ぼくたちの未来を明るく照らし歩き続けていた            ぼくたちは輝いていた                 ...

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(四)菅原道真と坂出

平安前期793年桓武天皇、平安京遷都を決断和気清麻呂の助言を受けて、長岡京を諦め、平安京へ再遷都することを決定。平安京遷都 794年 桓武天皇が,都を平安京に移す。東西約4.5km,南北約5.3km。唐の都長安の模倣なので,構造は,平城京に類似している。中央の朱雀大路で左京・右京に分かれている。政治と仏教の分離を意図して,平城京からの寺院の移転を認めなかった。795 14 この年、空海、東大寺戒壇院において具足戒を授...

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無庵詩集49

 その一歩が涙をふく                                        悲しみは雲の上                                       ...

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(一二)柿本人麻呂の真実を追う

 巻向の妻は突然亡くなった。人麻呂は一人残された子供とともに槻の木の立つ堤の近くの家で暮らしていた。近くに住む親戚に子供の世話を頼みながら多忙な仕事をこなしていた。七夕歌の発表で宮中の女性たちに大人気になっていた人麻呂は持統天皇から高く評価される。ただし持統天皇は他の宮中の女性と違いこの歌人は日本を代表する歌人を集めた歌集(のちの万葉集)にかかわっていくだろうということを見抜いていた。人麻呂に...

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無庵詩集48

ランプの居酒屋        私はただただ        ため息をつきながら         夕闇の中に                                    光を求め歩き続ける       私のココロに影を落とし         歩き続ける        とある       街角のランプを灯した        居酒屋に滑り込む    ...

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(三)菅原道真と坂出

時代背景菅原道真は845年8月1日(承和12年6月25日)に生まれ903年3月26日(延喜3年2月25日)に59歳で亡くなっている平安京の前期は794年(延暦13年)から894年(寛平6年)の100年とされているのでほぼ平安前期に活躍した詩人だったといえるだが時代背景を探ろうとすれば平安京の成り立ちから探らなければならない平城京から長岡遷都奈良時代の半ば頃から、都でも地方でも政治の乱れが激しくなる地方では人口の増加や租税を逃れるた...

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無庵詩集47

 ;囚われ人     ぼくたちは夢を見ることを忘れてしまっていた    絶え間ない咆哮と断絶。呼んでも聞こえないため息。         生き抜くことのむつかしさ      押し寄せる不安、苦し紛れのため息とどよめき                    囚われ人は歩かなければならない         ぼくた...

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(十一)柿本人麻呂の真実を追う

天武天皇5(676)四月己未(きび)二十二日紀臣訶佐麻呂の家族は天皇の名において美濃國司に詔して曰「在礪杵郡(ときのこおり)にいる紀臣訶佐麻呂の子は、東の國に遷して、卽ち其國の百姓とせよ」という命令を受けるつまり大逆罪(たいぎゃくざい)として罰せられたわけである。人麻呂が歌人として頭角を現す頃、自分の存在が彼のためにならないと考えた織姫は人麻呂を激しく 拒絶してこの恋は終えた。 しかし人麻呂はその後も...

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(二)菅原道真と坂出 

 出自菅原氏の前身は、天穂日命の子孫で、野見宿禰を家祖とし、葬送を職掌としている土師(はじ)氏である。垂仁天皇即位32年 皇后の日葉酢媛命(ひばすひめ)の葬送にあたり天皇が殉死を排すべく、その代替策を求めたのに対し野見宿禰(のみのすくね)の進言により殉葬の代わりに埴輪を利用するようになる。この功によって野見宿禰は土師(はじ)氏と氏姓を改められたその後土師古人(はじ ふるひと)が天応元年(781年)...

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無庵詩集46

 懺悔の歌               年老いて独りになって想ふ           あゝ母は幸せだったか             父は幸せだったか       子供たちの幸せだけを願って         生きてきたような父母(ちちはは)だった父が亡くなった時       火葬場で焼却炉が閉じようとしたとき           突然母が駆け出し           「わたしも 行くうう」   ...

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(一)菅原道真と坂出

はじめに古代港坂出松山の津を訪れる詩歌人は軍王、人麻呂そして菅原道真と続く。菅原道真は詩人である。514首の漢詩を残している。菅原道真が香川県坂出市にやってきたのは仁和(にんな)2年(886)から寛平(かんぴょう)2年(890)までの4年間讃岐国司の長官である「讃岐守(さぬきのかみ)」として讃岐で過ごしている。この間142首もの漢詩を残している。驚くべきことはその漢詩の中の道真の立ち位置である。民に対して...

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無庵詩集45

 綱渡り                                      だから   そこに夢があったなんて                 思わないほうが良い                   ぼくたちの干からびた   この街の風景       ...

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無庵詩集44

 赤い風船     三十階建ての  マンションの右肩から       赤い風船が顔を出す  ゆらりゆらりと         顔を出す       赤い風船には       目があって                                    涙を浮かべているんだ                   赤い風船は ゆらりゆらりと                      飛...

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(十)柿本人麻呂の真実を追う

 高市皇子と人麻呂(四)高市皇子の死697年持統10年7月高市皇子没43歳の若さだった日本書紀を見てみよう六月辛未朔戊子、幸吉野宮。丙申、至自吉野。秋七月辛丑朔、日有蝕之。壬寅、赦罪人。戊申、遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。庚戌、後皇子尊薨。八月庚午朔甲午、以直廣壹授多臣品治、幷賜物、褒美元從之功與堅守關事。九月庚子朔甲寅、以直大壹贈若櫻部朝臣五百瀬、幷賜賻物、以顯元從之功。冬十月己巳朔乙酉、賜右大臣丹...

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無庵詩集43

ぼくの中のとがった風景ぼくの中のとがった風景は孤独を呼び覚ます追いかけていた幸せがいつの間にか不幸に追いつかれてしまった      悲しい歌が聞こえてくるあなたとの想いが 夢となってふんわりふんわり浮かんで飛んで  ふんわりふんわり浮かんで飛んで青空に一瞬     キラッと光って             キラッと光って  割れてしまったそんな淡い夢のような    シャボン玉のような        ...

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12 舒明天皇と坂出 (最終章)

 新たな考古学的発見が歴史を変える。桜井市吉備の吉備池廃寺跡の発見はまさに歴史を塗り替える大発見でした。1997年「吉備池」の護岸改修のための事前調査中、寺院の建物らしき跡が発見され、奈良国立文化財研究所と桜井市教育委員会が共同で発掘調査をおこなったところ、この遺跡が7世紀の巨大な寺院跡であることが明らかとなりました。吉備池廃寺の発見です。「この付近では以前から瓦片が見つかっており、瓦窯跡とす...

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無庵詩集(26)

冬の朝 (1995年1月17日阪神淡路大震災の朝)冬の朝街が崩れた朝20秒の揺れ街を壊した破壊音と悲鳴!    悲鳴!母が子供を呼びます子どもが母を呼びます父が子供を呼びます子どもが父を呼びます家が倒れています家と家が支え合って倒れています止まらない嗚咽歩いても歩いても家が倒れています冬 の 朝崩れ落ちた家のその下に重なり合った柱と柱の隙間に生存者発見ピンク色の額が見えたピンク色は命の証し助け出された老人...

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無庵詩集42

閉じたまなこが美しくて       震えるまなこが美しくて      ぼくは泣いてしまうのです      その明かりを消してくれ     すべてを照らす明かりを消してくれ      こらえきれない涙が頬を濡らす君は覚えているだろうか       あまりに切ない溜息を         こらえきれないため息を        瞼を閉じて君を 歌うのだぼくはいつの間にか夢の中に入り込んだのかもしれない  ...

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無庵詩集41

 悲しみの向こうに夕焼雲          はるかかなたの夕焼雲 夏来りて 秋を迎える                  秋去りて 冬を迎える                     病は静かに深く進行する ...

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無庵詩集40

遠雷夢など信じなければよかった        悲しみは歌だけにしておけ                 君の悲鳴が          かすれた声にならない悲鳴が睡眠薬の飲めない昼間は    いつも体を丸め、Gの形で寝ていたそのため左足は膨れ上がり      右足はゴボウのように細かった眠る 眠る ねむる           眠るだけが苦しみを忘れさせる             眠るだけが苦痛から逃...

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妻の死(3)

救急車で運ばれた病院では直ちに蘇生のための緊急処置がとられた。しかし搬入時にすでに心肺停止状態であり蘇生は不可能だった。同時に警察による調査が実施された。警察の判断では犯罪の可能性も否定できない。第三者のいない密室での出来事だからだ。普段の看病の様子やベッド上での妻と私の位置など執拗な事情聴取が続いた。その時女性警察官が遺体の床擦れの後がきれいに治癒されており夫による犯行ではないとささやく声が届い...

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妻の死(2)

亡くなった妻を苦しめた病は間質性肺炎だった。間質とは肺の細胞をブドウに例えるとブドウの皮の部分である正常な間質であれば膨らんだり小さくなったりして空気を取り入れることができるがその間質(皮)の部分がだんだん固くなりついには固まってしまい酸素が入っていかなくなるという恐ろしい病だ。ところが睡眠薬を飲むと緊張が解けるのか普通に呼吸をすることができるまた身体をGの形に丸めて寝ると普通に呼吸することができ...

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妻の死(1)

令和2年11月8日午後7時25分自宅にて妻が息を引き取りました。...

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無庵詩集39

泣き虫 小鳥悲しみの      涙が      なみだがぼくの            心を濡らす        濡らすぼくの心         肺の底から  湧き起る      悲鳴         悲鳴 !!                  湧き立つ   雷雲 !! 笑顔      あの日の笑顔は     どこ行った          死が  ...

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無庵詩集38

 かき氷屋昭和な街並み昭和な酔っ払い昭和な上り坂昭和な下り坂昭和な日陰だれも住んでいない町角でかき氷屋が店を開いた...

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無庵詩集37

 ・・・・・寂しい父(ちち)母(はは)のいなくなったふるさとの道を歩くのは・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい父(ちち)母(はは)のいなくなったふるさとの山を見るのは寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂しい・・・・・寂し...

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11舒明天皇と坂出

 舒明八年六月、岡本宮の謎の火災事件以後、舒明天皇は臨時の田中宮に遷居したまま三年後の舒明十一年秋七月まで次の遷都先を明らかにしなかった。やっと発表したのが磐余の地であった。磐余(いわれ)は神武天皇が八十梟帥(やそたける)を討ったという地であり、5、6世紀のヤマト王権が宮を集中して置いた地域である。つまり舒明天皇がここに遷都するということはあきらかに蘇我蝦夷の支配から脱し、強い王権の時代を復権...

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(九)柿本人麻呂の真実を追う

 高市皇子と人麻呂(三)高市皇子の最大の功績は新益京(あらましのみやこ)「藤原京」の建設である。それは中国を始源とする都城(とじょう)制に基づき建築された都市だった。天子の居城(宮城)が北辺にあり、その南に宗廟及び官庁を設け(皇城)、その周辺市街地(京域)が形成され、各々防衛のため城郭(漢語本来の城)で周辺を囲んだ都市である。新益京(あらましのみやこ)の建設は天武天皇の夢でした。天武5(676...

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無庵詩集36

 手品師入道雲 光る丘の上の坂道を手品師がハートのカードをまき散らして駆けおりる...

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無庵詩集35

夜の音 ここは 坂出 鍛冶屋町(かじやまち)真夜中の静けさの中から自転車の音が聞こえてくる古びた自転車なのだろうギーコ ギコと雑音が混じるときおりギイーというブレーキ音が混じる彼は酔っぱらっているのだむせび泣くようなまた吐息のような寂しい演歌を歌いながら男は去っていったしんしん  シ-ンと暗闇に静けさを残して...

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10 舒明天皇と坂出

 子供たちが少なめに注いだ酒を先を争って道真に勧めるという話には後日談がありました。「216正月二十日感(かん)あり 禁中內宴の日なり」に書かれていました。       この詩は、例年なら正月二十日は正月の祝い治めの日として多くの群臣・文人たちとともに道真は禁中(宮中)の内宴の席に召されているはずなのに、何の連絡もなく今年は遠く離れた讃岐の海のほとりでひとりいることを嘆いている詩です。216正...

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(八)柿本人麻呂の真実を追う

 高市皇子と人麻呂(二)「即位元年6月29日秦造熊(ハダノミヤツコクマ)に犢鼻(タフサギ=ふんどし)だけにして馬に乗せて走り、寺の西の陣営の中で唱和させました。 「高市皇子が不破から来られたぞ。軍勢がいっぱいだ 」と言わせたその時、陣営の中の軍衆は熊が叫ぶ声を聞いて、ことごとく散って逃げました。」この日本書記の描写を見ても歌の現場である監視所の高市皇子の攻撃のすさまじさが理解できる監視所とは白村...

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無庵詩集34

停留場バスの運転手はロバさんだよ乗客はウサギさんとカメさんだよ誰もいない夜の道をこうこうと光るバスが走るピンポンとボタンを押してウサギさんが飛び降りた運転手のロバさんが振り返って「お客さん!次は終点ですよ」と、声をかけたじつはカメさんはウサギさんと同じ停留場で降りるつもりだった終点で降ろされたカメさんは首を  ながく  ながああく 伸ばして  つぶやいたもどるしかないよねえって...

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無庵詩集33

 冷たい雨がトンタタタン思い出をたどって旅をする疲れた旅人はもう歌はない遠い風音 雨音きこゆ あの時お前は家なき子 冷たい雨がトンタタタン隣の屋根にもトンタタン 帰る家がありません 冷たい雨が   ピチャンピチャン ピチャ ピチャン 音たちのダンス 音が跳ね 音が絡まり 音が震える 冷たい雨が   トリリタラン トリタタラン  音が沸き起こり 音たちが飛ぶ ハリリララン ハリラララン  音のダ...

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9 舒明天皇と坂出

万葉集8巻1511番 舒明天皇 夕されば小倉の山に鳴く鹿は今宵は鳴かず寝(い)ねにけらしも訳 夕方になると、いつも小倉山で鳴く鹿が、今夜は鳴かない。もう寝てしまったらしい。 *小倉山 京都にある小倉山ではなく、奈良県桜井市の今井谷付近や忍坂山、倉橋山等、諸説ありこの歌には天皇の優しさや孤独感がにじみ出ているように思います。そして舒明天皇は素直な表現のできる優れた歌人だったとも言えるでしょう。このことから...

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(七)柿本人麻呂の真実を追う

高市皇子と人麻呂(一)高市皇子とは天武天皇の第一皇子。母は胸形君徳善の女、尼子娘。御名部皇女(天智天皇の皇女)との間に長屋王をもうけた。異母妹の但馬皇女を妻としたらしい(万葉集巻二)。生年は一説に白雉五年(654)。高市県主のもとで養育を受ける。天武元年(672)六月、壬申の乱勃発の際は大津皇子と共に近江にいたが、吉野の大海人より報が届き、直ちに近江を発ち、父の一行に合流した。父より将軍に任命され、不破に派...

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無庵詩集32

 蝶々  可愛い夢が花になって花が蝶になってなって チョウチョウ可愛い可愛いい 蝶々 ちょうちょう    可愛い  可愛いいいい    蝶々蝶々 可愛いいいいいいいい可愛いいいいいいい    蝶々夢が花になって花が蝶になってなってなって蝶々     可愛いいいいいいいいいいいいいいいい蝶々     可愛いいいいいいいいいいいいいいいい可愛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい...

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8 舒明天皇と坂出

 香具山はハゲ山だったのだろうか。あの辺りは砂漠地帯ではないのだから自然のままだとハゲ山にはならない。おそらく人為的に何かが起きたのだろう。考えられるのは山火事です。本居宣長が香具山を訪れる前、何らかの原因で火災が起こりハゲ山になっていたのではないか。一番分かり易い理由です。しかし山火事であれば、火事の痕跡がどこかに残っているのではないだろうか、「この峯に龍王の社という小さい祠《ほこら》があり、そ...

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(六)柿本人麻呂の真実を追う

壬申の乱 【人麻呂は不破関(塞)にいた】柿本人麻呂は壬申の乱において通説では柿本一族と共に箸墓(はしはか)の戦いに参加していたのではないかと言われている。箸墓(はしはか)の戦いとは箸墓(奈良県桜井市箸中)の北(池のある辺り)で朝廷軍と大伴吹負(おおとものふけい),置始菟(おきそめのうさぎ)らの軍が戦って勝利した戦いである。大和での戦いはこれで大海人皇子軍の勝利が決まったとされている。しかし実は人麻...

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無庵詩集31

 ホー ホケキョボクは 魔法の杖を手に入れたこの杖は相手に向けるとたちまちその人はホトトギスの鳴き声に代わるんだ説教している意地悪上司に杖を向けると   たちまち    上司は ホー ホケキョ  ケキョ ケキョと  鳴くんだよしつこい酔っ払いに杖を向けると   たちまち   ホー ホケキョ  ケキョ ケキョと  鳴くんだ交通事故で喧嘩をしている二人に杖を向けると たちまち   ホー ホケキョ...

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7 舒明天皇と坂出

万葉集2番歌 舒明天皇の国見の歌は坂出の海を想い描いたものだという仮説検証の旅は続きます。登山口から香久山より亀の瀬方面.を見ると二上山が見えます。その向こうに瀬戸内海があり坂出があります。ちなみにこの登山口は海抜105m程の高さにあります。JR法隆寺駅あたりが海抜39mです。後日、橿原市観光課発行の「香具山周辺散策マップ」を見ていてわかったことですがこの登山口近くに「国見の丘」があり「ここから見る...

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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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