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(二十一)音羽山に似た津の目山

人麻呂は死の直前、何故微笑んだのだろうか それは山陰の津ノ目山が彼の愛する人の住む音羽山に見えたのです。 津の目山音羽山...

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無庵詩集63 

               窓 窓 窓 窓 暗い窓。ぽつんと一軒灯がともる かれは不眠症です。            今夜も眠れない時間が過ぎます。                               窓 窓 窓 窓 暗い窓 ぽつんと一軒灯がともる 彼女は頻尿です。         ...

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(二〇)依羅娘子人麿と相別れたる歌

(二〇)依羅娘子人麿と相別れたる歌 依羅娘子は父人麻呂の帰りをひたすら待ち続けていた そして父の死を知らされた娘は案内人と共に鴨山に駆けつける 娘は泣き崩れ、人麻呂の遺体に抱きつき 号泣する。 号泣する。 号泣する。 一方村人たちは旅人の遺体をどうするか相談していた。 江川は周辺の村人にとって生活用水であり遺体を川べりに埋めることは許されないことだった。 従って自分たちの墓地の近くに旅人の遺体を埋...

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(一九)臨死時自傷作歌鴨山

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(一九)臨死時自傷作歌鴨山

(二〇)依羅娘子人麿と相別れたる歌 2023/02/18 07:32 (二〇)依羅娘子人麿と相別れたる歌 依羅娘子は父人麻呂の帰りをひたすら待ち続けていた そして父の死を知らされた娘は案内人と共に鴨山に駆けつける 娘は泣き崩れ、人麻呂の遺体に抱きつき 号泣する。 号泣する。 号泣する。 一方村人たちは旅人の遺体をどうするか相談していた。 江川は周辺の村人にとって生活用水であり遺体を川べりに埋めることは許されないこ...

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(一九)臨死時自傷作歌鴨山

一九)臨死時自傷作歌鴨山 元明天皇の勧めを断り 人麻呂は娘の待つ都の津に急ぐ彼は時間のかかる山陰道を避け 瀬戸内海を尾道にわたるコースを選んだ 尾道から三次を越え 水運の中継基地として栄え、銀山街道としては宿場町でもあった町・浜原に人麻呂は   宿をとった。すぐそばには江川が見えるこの川口には娘が待っている。 人麻呂の心は浮き立っていた 早朝人麻呂は馬を浜原の馬置き屋に返し徒歩で旅立った。美郷の奥...

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妻の死(3)

救急車で運ばれた病院では直ちに蘇生のための緊急処置がとられた。しかし搬入時にすでに心肺停止状態であり蘇生は不可能だった。同時に警察による調査が実施された。警察の判断では犯罪の可能性も否定できない。第三者のいない密室での出来事だからだ。普段の看病の様子やベッド上での妻と私の位置など執拗な事情聴取が続いた。その時女性警察官が遺体の床擦れの後がきれいに治癒されており夫による犯行ではないとささやく声が届い...

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妻の死(2)

亡くなった妻を苦しめた病は間質性肺炎だった。間質とは肺の細胞をブドウに例えるとブドウの皮の部分である正常な間質であれば膨らんだり小さくなったりして空気を取り入れることができるがその間質(皮)の部分がだんだん固くなりついには固まってしまい酸素が入っていかなくなるという恐ろしい病だ。ところが睡眠薬を飲むと緊張が解けるのか普通に呼吸をすることができるまた身体をGの形に丸めて寝ると普通に呼吸することができ...

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妻の死(1)

令和2年11月8日午後7時25分自宅にて妻が息を引き取りました。...

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音羽山観音寺住職 後藤密榮さんの話

音羽山観音寺住職 後藤密榮(ごとう・みつえい)さんの談話が放映されていた。(先週)なぜ30歳という若い女性がこんな山深い音羽山観音寺の住職になったのか貴重な彼女自身の生い立ちを語るものだった。「母が病気になってお寺にお参りに行くようになった。そして私が25歳の時、母は65歳で亡くなった私は7人兄妹の末っ子で甘えん坊だった。いつも母親にくっついて服を持ったり手をつかんだりしながらどこへいくのもいっしょだっ...

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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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