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菅原道真詩集011 翫梅華,各分一字 探得勝字。

011 翫梅華,各分一字 探得勝字。 梅樹花開剪白繪  春情勾引得相仍  狂風第一吹狼籍  叱叱忩忩意不勝 梅樹(ばいじゅ)花開きて白き繪(かとり)を 剪(き)る 春情(しゆんじょう)勾引(こういん)されて相仍(あひよ)ること 得(え)たり 的礫(てきれき)として鮮明に咲いている 春一番の激しい風吹きて狼籍(ろうぜき)ならせば  叱叱忩忩(しつしつそうそう)意(こころ)勝(た)へざらまさし 訳 梅...

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菅原道真詩集010 重陽侍宴,賦美景秋稼,應製

010 重陽侍宴,賦美景秋稼,應製萬里如雲稼  重陽就日晴 吹金風冷簸 滴玉露清瑩 靄靄皆和氣 離離半旅生 綺疇無數畝  銅雀第三鳴 遠舉回頭望  長期鼓腹聲 願因秋景美 將見海陵盈 万里(ばんり)雲の如くなる稼(にぎはひ)  重陽(ちょうよう)日の晴るるにつく 金(きむ)を吹きて風冷(ひややか)に簸(ひ)る 滴玉(ぎょく)を滴(した)てて露(つゆ)清らかに瑩(かがや)く 靄靄(あいあい)たるは皆...

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(九)菅原道真と坂出

巻第一  3残菊詩  -  残菊の詩  十韻于時年十六 - 十韻時に年十六。十月玄英至     十月、玄英(げんえい)至る三分歳候休     三分、歳候(さいこう)休す暮陰芳草歇     暮陰、芳草(ほうそう)歇(つ)き残色菊花周     残色、菊花周(あまね)し為是開時晩     これ開く時の晩(おそ)きが為なり当因発処稠     当(まさ)に発(ひら)く処の稠(ちゅう)なるに因るべし染紅衰葉病 ...

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(八)菅原道真と坂出

臘月独興   ( 臘月に独り興ず )                        于時年十有四    玄冬律迫正堪嗟  玄冬律迫(せま)り正に嗟(なげ)くに堪え還喜向春不敢賒  還って喜ぶ春に向かはんとして敢えて賖(はる)か             ならざることを欲盡寒光休幾處  尽きなと欲する寒光幾ばくの処にか休(や)まん將來暖氣宿誰家  将に来たらんとする暖気誰が家にか宿らん氷封水面聞無浪 ...

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(七)菅原道真と坂出

幼ない頃道真は健康に恵まれなかったらしく、大病を患らい母親は一心に観音に祈誓し観音像造立の願を起こし、ようやく病を除くことができた。母は没するとき、道真に遺命してお前の俸禄の上分をさいて、この願を達成するようにと言い残した。この体質の弱さは、後まで彼の心身に影響を及ぼしているではなかろうかと、坂本太郎はその著「菅原道真」で述べている。次に斉衡2(855)年菅原道真11歳のとき詩を詠んでいる。記念すべき処...

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(六) 菅原道真と坂出

 道真の漢詩について私が初めて道真の漢詩に触れたのが坂出市松山で詠った「晩春の松山館に遊ぶ」でした。大学生だった頃鎌田醤油の敷地に建てられていた鉄筋コンクリート造3階建の一階に図書館がありそこで読んだのがこの道真の「晩春の松山館に遊ぶ」でした。鎌田醤油といえば「鎌田だし醤油」が有名ですが鎌田醤油を育てた鎌田勝太郎は坂出塩業の父といわれ福沢諭吉に師事しており文化活動にも熱心でした。その鎌田勝太郎...

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(五)菅原道真と坂出

弘仁のモダニズム 淳和天皇(じゅんなてんのう)、786年〈延暦5年〉から仁明天皇(にんみょうてんのう、850年までを弘仁のモダニズムとよばれ「承和の転換」とされている。承和の転換 承和への憧憬日本王朝は三〇年の政治的安定を享受し、「弘仁のモダニズ」を欄熟きせていた。仁明天皇の時代(八三三~八五〇)である。そして安定と欄熟のさなかに、次代への転換が用意された。安定と欄熟こそが転換のかたちを決定づけたと言える...

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(四)菅原道真と坂出

平安前期793年桓武天皇、平安京遷都を決断和気清麻呂の助言を受けて、長岡京を諦め、平安京へ再遷都することを決定。平安京遷都 794年 桓武天皇が,都を平安京に移す。東西約4.5km,南北約5.3km。唐の都長安の模倣なので,構造は,平城京に類似している。中央の朱雀大路で左京・右京に分かれている。政治と仏教の分離を意図して,平城京からの寺院の移転を認めなかった。795 14 この年、空海、東大寺戒壇院において具足戒を授...

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(三)菅原道真と坂出

時代背景菅原道真は845年8月1日(承和12年6月25日)に生まれ903年3月26日(延喜3年2月25日)に59歳で亡くなっている平安京の前期は794年(延暦13年)から894年(寛平6年)の100年とされているのでほぼ平安前期に活躍した詩人だったといえるだが時代背景を探ろうとすれば平安京の成り立ちから探らなければならない平城京から長岡遷都奈良時代の半ば頃から、都でも地方でも政治の乱れが激しくなる地方では人口の増加や租税を逃れるた...

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(二)菅原道真と坂出 

 出自菅原氏の前身は、天穂日命の子孫で、野見宿禰を家祖とし、葬送を職掌としている土師(はじ)氏である。垂仁天皇即位32年 皇后の日葉酢媛命(ひばすひめ)の葬送にあたり天皇が殉死を排すべく、その代替策を求めたのに対し野見宿禰(のみのすくね)の進言により殉葬の代わりに埴輪を利用するようになる。この功によって野見宿禰は土師(はじ)氏と氏姓を改められたその後土師古人(はじ ふるひと)が天応元年(781年)...

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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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