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記事一覧

12 舒明天皇と坂出 (最終章)

 新たな考古学的発見が歴史を変える。桜井市吉備の吉備池廃寺跡の発見はまさに歴史を塗り替える大発見でした。1997年「吉備池」の護岸改修のための事前調査中、寺院の建物らしき跡が発見され、奈良国立文化財研究所と桜井市教育委員会が共同で発掘調査をおこなったところ、この遺跡が7世紀の巨大な寺院跡であることが明らかとなりました。吉備池廃寺の発見です。「この付近では以前から瓦片が見つかっており、瓦窯跡とす...

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11舒明天皇と坂出

 舒明八年六月、岡本宮の謎の火災事件以後、舒明天皇は臨時の田中宮に遷居したまま三年後の舒明十一年秋七月まで次の遷都先を明らかにしなかった。やっと発表したのが磐余の地であった。磐余(いわれ)は神武天皇が八十梟帥(やそたける)を討ったという地であり、5、6世紀のヤマト王権が宮を集中して置いた地域である。つまり舒明天皇がここに遷都するということはあきらかに蘇我蝦夷の支配から脱し、強い王権の時代を復権...

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10 舒明天皇と坂出

 子供たちが少なめに注いだ酒を先を争って道真に勧めるという話には後日談がありました。「216正月二十日感(かん)あり 禁中內宴の日なり」に書かれていました。       この詩は、例年なら正月二十日は正月の祝い治めの日として多くの群臣・文人たちとともに道真は禁中(宮中)の内宴の席に召されているはずなのに、何の連絡もなく今年は遠く離れた讃岐の海のほとりでひとりいることを嘆いている詩です。216正...

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9 舒明天皇と坂出

万葉集8巻1511番 舒明天皇 夕されば小倉の山に鳴く鹿は今宵は鳴かず寝(い)ねにけらしも訳 夕方になると、いつも小倉山で鳴く鹿が、今夜は鳴かない。もう寝てしまったらしい。 *小倉山 京都にある小倉山ではなく、奈良県桜井市の今井谷付近や忍坂山、倉橋山等、諸説ありこの歌には天皇の優しさや孤独感がにじみ出ているように思います。そして舒明天皇は素直な表現のできる優れた歌人だったとも言えるでしょう。このことから...

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8 舒明天皇と坂出

 香具山はハゲ山だったのだろうか。あの辺りは砂漠地帯ではないのだから自然のままだとハゲ山にはならない。おそらく人為的に何かが起きたのだろう。考えられるのは山火事です。本居宣長が香具山を訪れる前、何らかの原因で火災が起こりハゲ山になっていたのではないか。一番分かり易い理由です。しかし山火事であれば、火事の痕跡がどこかに残っているのではないだろうか、「この峯に龍王の社という小さい祠《ほこら》があり、そ...

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7 舒明天皇と坂出

万葉集2番歌 舒明天皇の国見の歌は坂出の海を想い描いたものだという仮説検証の旅は続きます。登山口から香久山より亀の瀬方面.を見ると二上山が見えます。その向こうに瀬戸内海があり坂出があります。ちなみにこの登山口は海抜105m程の高さにあります。JR法隆寺駅あたりが海抜39mです。後日、橿原市観光課発行の「香具山周辺散策マップ」を見ていてわかったことですがこの登山口近くに「国見の丘」があり「ここから見る...

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6 舒明天皇と坂出

香具山は分かりにくい山です。畝傍山(うねびやま)とか耳成山(みみなしやま)は単独峰なので分かりやすいのですが、香具山は太古の昔は多武峰から続く竜門山地の端が岬のようにせりだし、その岬の先端が香具山だったそうです。その後自然の浸食作用や道路建設など大規模な土木事業で大量の土砂の採掘工事が行われ、結局岬の先端が残り、香具山になったというわけです。その過程で香具山の外にも失われなかった部分が香具山の周り...

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5 舒明天皇と坂出

 一度どうしても行ってみたいと思っていたのが奈良と大阪の県境にある亀の瀬渓谷です。ここは王朝を守る砦でもありますが、ここに流れ込む支流は寺川・葛城川・飛鳥川・富雄川佐保川・葛下川・東除川・千早川・竜田川・秋篠川・高田川・など歴史上著名な川が多いのです。                                            亀の瀬渓谷JR関西本線(大和路線)の 河内堅上駅に降り、川...

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4 舒明天皇と坂出 

松山の津に建てられた行宮のすぐそばにある雄山は高さ140mの小さな山です。香具山は152.4mですがふもとの高さが海抜80mくらいの所にありますから実際には雄山の方が高い。しかし香具山の場合はどのコースから登っても急な斜面をジグザグに登るのに対して雄山は裏側(西側)を回りながら頂上に向かうのでなだらかで登りやすいのです。雄山 吉備池近くから見る香久山https://goo.gl/maps/qiZAR99jHve8rihe6*アップしないと吉...

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3 舒明天皇と坂出

888年(仁和8年)菅原道真.が讃岐守として三度目の秋を迎えた時のことです。 在任中、最もうれしい訪問がありました。 愛弟子、 文室時実(ふんやのときざね)の訪問です。時実(ときざね)は春の文章生(もんじょうしょう)選抜試験の合格お礼に遠路、坂出に師を訪ねてきたのです。怪來(あや)しばらくは言笑(げんゆう)夢の中に聞くならむかと(君がことば、君が笑い声を聞いて、これは夢ではないかしらと怪しんでみる)(...

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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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