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(八)菅原道真と坂出


臘月独興   ( 臘月に独り興ず ) 
                       于時年十有四


    


玄冬律迫正堪嗟  玄冬律迫(せま)り正に嗟(なげ)くに堪え

還喜向春不敢賒  還って喜ぶ春に向かはんとして敢えて賖(はる)か

             ならざることを

欲盡寒光休幾處  尽きなと欲する寒光幾ばくの処にか休(や)まん

將來暖氣宿誰家  将に来たらんとする暖気誰が家にか宿らん

氷封水面聞無浪  氷は水面を封じて聞くに浪無し

雪點林頭見有花   雪は林頭に点じて見るに花有り

可恨未知勤學業  恨むべし未だ学業に勤むることを知らずして

書齋窓下過年華  書斎窓下年華を過ぐさんことを

         
今まさに冬が終わろうとしている。そして今年も過ぎ去っていくと思えばそれはまさに嘆くに値する。
しかしながら、それだけいっそう春が近づいているのだと思うとかえって喜びがましてくる。春がやってきたらこのつめたい冬の光はどこへ行って休むのだろうか。目の前まで近づいて来ている春の暖かな空気は、いまはどこに留まっているのだろう。ひっそりとした冬の静けさに包まれた池はまだ氷にとざされたままで波音一つない。雪は林の梢にくっついて花が咲いたように見える。学業に専念することなく、ただ書斎の窓の外をぼんやり眺めて、過ぎゆく年を歎いて学業に専念しないようではだめだ。

【語釈】◇玄冬 冬の異称。「玄」は黒で、五行説では冬にあたる。◇律迫 度合いが甚だしくなって。冬が進行し、残り少なくなったことを言う。◇年華 年月。

【補記】臘月すなわち陰暦十二月に独り即興で詠じたという詩。「于時年十有四」(時に年十有四)の注記があり、菅原道真十四歳の作。和漢朗詠集の巻上「氷」に第五・六句「氷封水面聞無浪 雪点林頭見有花」が引かれている。土御門院が第六句を句題にして歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
氷みな水といふ水はとぢつれば冬はいづくも音無の里(和泉式部『和泉式部集』)
時雨までつれなき色とみしかどもときは木ながら花咲きにけり(土御門院『土御門院御集』)
「氷封水面聞無浪」の句は出典は菅原道真の詩文集『菅家文草』卷一 の「臘月独興(ろげつどっきょう)」という詩が出典です。道真十四歳の時の作になる漢詩です。
【語釈】◇玄冬 冬の異称。「玄」は黒で、五行説では冬にあたる。◇律迫 度合いが甚だしくなって。冬が進行し、残り少なくなったことを言う。◇年華 年月。

【補記】臘月すなわち陰暦十二月に独り即興で詠じたという詩。「于時年十有四」(時に年十有四)の注記があり、菅原道真十四歳の作。和漢朗詠集の巻上「氷」に第五・六句「氷封水面聞無浪 雪点林頭見有花」が引かれている。土御門院が第六句を句題にして歌を詠んでいる。


感想  

「消え尽きようとする寒い冬の光は、あと幾箇所で休憩するのだろう。」

とか「訪れようとする暖かい春の気は、どこの家で宿を取るのだろう。」

など季節の移り変わりを14歳の少年らしく擬人化して表現している

そして「氷、水面に封じて聞くに浪なし雪、林等に点じて見るに花あり」

「池の水面には氷が張り波の音が聞こえない林の木々の枝に降り積

もった雪が花のように見える」

など、なんと初々しくて素敵な詩なのだろう



【時代背景】

この歌が詠われたのは天安2年である。
天安(てんあん、(てんなん)は、日本の元号の一つ。斉衡の後、貞観の前。857年から859年までの期間を指す。この時代の天皇は文徳天皇、清和天皇。
天安元年(857年):藤原良房太政大臣となる。京の群盗を捜捕する。
天安2年(858年):清和天皇が8歳で即位。藤原良房が摂政に就任。京中の洪水により、米・塩など窮民に与える。
天安3年3月-貞観元年4月(859年):河内・和泉両国で須恵器窯用の薪をめぐり陶山の薪争いが起こる。
「(ウィキペディアより)」





 

 
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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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