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(一七)柿本人麻呂の真実を追う


石見相聞歌

流罪になった人麻呂の住まいは江川(ごうかわ)河口近くの島根県都野津町だったといわれて

いる。 流罪人だったとはいえ持統天皇の配慮で生活に困るようなことはなかったと考えられる。

あとから来た娘とともに穏やかな日々を過ごしていたことでしょう。

先に述べたように依羅乙女(よさみのおとめ)はこれまで石見の現地妻だと解釈されてきた。

いかにも「色好みの人麻呂」と評価されてきた逸話である。

専門家は 何故人麻呂を好色な人間にしたがるのでしょうか?

しかし人麻呂が生涯愛した女性は泣血哀慟歌に詠われた二人しかいない。

織姫と巻向の女性である。そして人麻呂は巻向の女性と居を構え子を持った。

その巻向の女性(依羅)の娘こそ依羅乙女(よさみのおとめ)なのである。

流罪になったときの人麻呂は54歳 娘は13歳頃だったと考えられる

人麻呂がなくなったのが元明天皇和銅元年61歳である

従って7年間石見で過ごしたことになる

この7年間の終わりに詠んだのが石見相聞歌と臨死時自傷作歌です。

この間人麻呂は1首も歌を詠んでいないことになる。

多作で知られる彼が何故歌を詠まなかったのだろうか。

おそらく詠む歌によって大逆罪が娘に波及を恐れたのではないかと想像できる。

さらに終わりに詠んだ石見相聞歌依羅乙女(よさみのおとめ)を妻としたのも娘が大逆罪に問わ

れないための配慮だと考えられる。 この石見相聞歌は3首歌われている。常識的に言えば

推敲をかさね1首にまとめられるべきものである。しかし何らかの事情で推敲を重ねる時間が

なかった。従って石見相聞歌は人麻呂の死後収集されたものだと想像できます。

人麻呂は 「石見国より妻と別れて上り来たりし時の歌」いわゆる石見相聞歌を詠んでいる

つまり大逆罪に問われ石見に流罪になった人麻呂が娘と別れて朝廷に出頭するよう

命じられたということである。すでに人麻呂の理解者であった持統天皇から元明天皇の御代に

変わっている。石見相聞歌のあまりに悲しい響きから大逆罪を犯した人麻呂は都で極刑にさせ

られるのではないかと考えたのだろう。

娘を一人置き去りにして自分は死ななければならないという悲痛な響きが感じられるのである。

人麻呂は次の駅、樟道駅(つちえき)向かわず江川沿いに川口に下り、娘のすむ都野津集落に

向かって手を振り続けるのである。

この石見相聞歌に副題をつけるとすれば「江川の別れ」と付けられるのではないでしょうか。

しかし元明天皇は人麻呂に古事記の編纂の協力を求めたのである。元明天皇は古事記の編纂

を進めた方でした。人麻呂が万巻の書を読み、話し言葉から文字化に成功させ、数々の詩歌を

詠んだ宮廷歌人であった人麻呂に古事記の編纂の協力を求めたのではないか。

ひそかに娘ともども都に呼び戻し居を構えるという条件も付けていた。

人麻呂は古事記編纂のための協力を惜しまなかったが娘ともども都に戻ることに関しては丁重

にお断りし石見に向かったのである。それは時代の流れの残酷さを経験してきた人麻呂に

とって 元明天皇の庇護が永遠に続くものとは考えられない。おそらく娘ともども暖かく迎えら

れ平穏な日々を過ごすことができる石見こそ終焉の場所だと心に決めていたのだろう。

石見相聞歌

第2巻
131番歌
巻 第2巻
歌番号 131番歌
作者 柿本人麻呂

題詞 柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首[并短歌]
原文 石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等 [一云 礒無登] 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 [一云 礒者] 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎 [一云 波之伎余思 妹之手本乎] 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志<怒>布良武 妹之門将見 靡此山
訓読
石見の海 角の浦廻を 浦なしと
人こそ見らめ 潟なしと [一云 礒なしと]
人こそ見らめ よしゑやし
浦はなくとも よしゑやし
潟は [一云 礒は] なくとも 鯨魚取り
海辺を指して 柔田津の
荒礒の上に か青なる 玉藻
沖つ藻 朝羽振る
風こそ寄せめ 夕羽振る こそ来寄れ
波のむた か寄りかく寄り
玉藻なす 寄り寝し妹を [一云 はしきよし
妹が手本を] 露霜の 置きてし来れば この道の
八十隈ごとに 万たび かへり見すれど
いや遠に 里は離りぬ
いや高に 山も越え来ぬ 夏草の
思ひ萎へて 偲ふらむ
妹が門見む 靡けこの山

石見の海の角の浦あたりには良好な港が無いと人は言い、適当な干潟(磯ともいう)も無いと人は言う。たとえ港は無くとも、たとえ干潟(磯)は無くとも、(いさなとり)海辺をさして柔田津(にぎたづ)の荒磯の上には青々とした藻すなわち沖藻が朝も夕も風が吹き、鳥が羽ばたくように波立ってそうした藻を海岸に打ち寄せる。そんな玉藻のように寄ってきて共寝した児(あるいはいとしい児の手元)を離れてきた。やって来たその道の曲がり角ごとに幾たびも振り返ってみた。いや里は遠く離れ、いや高い山も越えてやってきた。思いもしぼんで娘の家が見たくてたまらない、こんな山などなくなればいい。

反歌2首
132番歌石見の高角山(たかつのやま)、その木の間より私はさかんに袖を振っているが、娘は見てくれているだろうか。
133番歌
笹の葉がみ山にさやさやとと風にそよいでいるが、私は残してきた娘が心残りでたまらない。

134番歌
ああここは石見の高角山、その木の間からも私はさかんに袖を振っているが、娘は見てくれただろうか。

第2巻
135番歌

集歌135 角鄣経 石見之海乃 言佐敞久 辛乃埼有 伊久里尓曾 深海松生流 荒磯尓曾 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃(一云、室上山) 山乃 白雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沽奴

つのさはふ 石見の海の 言さへく 
辛の崎なる いくりにそ 深海松生ふる
 荒磯にそ 玉藻は生ふる
玉藻なす なびき寝し児を 深海松の
 深めて思へどさ寝し夜は いくだもあらず 
這ふつたの 別れし来れば肝向かふ 
心を痛み 思ひつつ かへりみすれど大船の
 渡の山の 黄葉の 散りのまがひに妹が袖 さやにも見えず
 妻ごもる 屋上の山の雲間より 渡らふ月の 惜しけども
 隠ろひ来れば天つたふ 入日さしぬれ 丈夫と 思へるわれも
しきたへの 衣の袖は 通りて濡れぬ

石見の海の辛崎に沈む海中の岩石には海深くに松が生えている。その荒磯に玉藻が生い茂ってなびくように、共寝した彼女。海深くに生える深海松(みるまつ)のように深く思って寝た夜はいくらもなく、蔦(つた)が二手に分かれていくように別れてきてしまった。その心の痛みに堪えられず振り返ってみるが、渡の山の黄葉が散り乱れ、彼女が振っている袖もはっきりとは見えない。 屋上の山(或いは室上山という)の雲間を渡っていく月が名残惜しい。その月が隠れてくるにつれ、入日が迫ってきて、一人前の男と思っていた私の袖も悲しみで濡れてしまった。

136番歌
馬が速度を速めてここまでやってきたが、あの雲のかなたはるかに遠く妻の家のあたりを過ぎてきてしまった
137番歌
秋の山の黄葉よ。しばし散り乱れないでおくれ。妻のいる里のあたりを眺めたい

第2巻
138番歌
石見の海の津には浦がなく、港に適した浦もない、と人は言い、適当な干潟も無いと人は言う。たとえ港は無くとも、たとえ干潟は無くとも、(いさなとり)柔田津(にぎたづ)の荒磯を指して青々とした藻や沖藻が、明け方には波に寄せられ、夕方には風が吹いて波と共に寄りに寄ってくる。そんな玉藻のように寄ってきて共寝した妻の白い手元を離れてきた。やって来たその道の曲がり角ごとに幾たびも振り返ってみた。いや里は遠く離れ、いや高い山も越えてやってきた。いとしい妻は夏草のようにしおれて嘆いていることだろう。妻のいる家の里が見たくてたまらない、こんな山などなくなればいいのに。

139番歌
ああここは石見の海の打歌(うつた)の山、その木の間より私はさかんに袖を振っているが、彼女は見てくれているだろうか。

140番歌

題詞 柿本朝臣人麻呂 妻依羅娘子(よさみのおとめ)与人麻呂相別歌一首
原文 勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟
訓読 な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか我が恋ひずあらむ
かな なおもひと きみはいへども あはむとき いつとしりてか あがこひずあらむ

訳 そんなに思い悩むなとあなたはおっしゃるけれど、いつ逢えるか分からないのに恋わずにいられましょうか。

この娘(依羅娘子)の歌は都に旅立つ人麻呂が心配をかけないと都に旅立つが用事がすめば

すぐ帰ってくるからとでも言い残していたのではないかと想像できる




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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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