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(一八)柿本人麻呂の真実を追う

 
一八 石見相聞歌


いよいよこの「柿本人麻呂の真実を追う」も島根県を舞台にした最終章に入ります。

人麻呂が住んでいたのは江川の川口に近い江津市都野津町(つのづまち)だったといわれて

いる。都野津町は、ウィキペディアによるとかつて島根県那賀郡に属していた町です。

江津市西部沿岸部にあたり、西部・南部を二宮地区に囲まれている。さらに内陸部へすすむと

千田町・跡市町・有福温泉へと辿り着くことができる。

北は日本海に面した海岸段丘、南部は「都野津層」と呼ばれる、良質の粘土層のある丘陵で、

(500年の歴史を持ち、山陽・近畿地方への販路を有し、近年はアメリカへも輸出されている) 石

州瓦の窯業団地が形成されている。江戸時代中頃から明治にかけて、中国地方で活躍した「都

野津商人」と呼ばれた衣料の行商の故郷としても知られているそうです。

私が取材のため島根に行ったのは二回ですがJR三江線の廃線が決まりどうしても電車に乗っ

てもう一度江川(ごうかわ)を見たくなり出かけていきました。私が知る範囲で言えばこれまで

見た川の中で江川は最も美しい川です。江津駅を出発すると間もなく江川が見えます。

私は取材のため出かけるときはひとりで行くことにしています。

ひとりだと現地の人に話しかけたり話かけられたりするからです。

(一番よくないのは団体旅行。私などは前夜の飲み会で はしゃぎ過ぎ、貴重な文化財の見学

でもコーラーを片手に隅っこでしゃがみこんでいました。熱心に手帳にメモを

していた友人もいましたから心がけ次第だとも思いますが・・・)

私が江川のエメラルドグリーンの美しさに見いっていると

「 きれいでしょう! 」と、一人の青年に話しかけられました。彼は東京出身でしたが江川の

美しさに惚れてこの地に移り住んできたということでした。

一回きりの人生、この青年のように好きに生きなくてはと思い知らされました。

かって 私が取材で都野津町に訪れた時のことです。道筋がわからなくなって通りがかり

の婦人に道を尋ねたことがあります。彼女は恐らく買い物から帰る途中のようでした買い物袋を

走って自宅に置きに行きその足で路地裏道を延々と案内して頂いたのです。

私はその都野津町の婦人の心遣いに感謝するとともに人麻呂もまたこのような心優しい

都野津町の人々に囲まれて生活をしていたのかと思いをはせるとうれしくなりました。

話はがらりと変わりますが

私はかって職場の職員旅行で山口県から島根県を通り帰ってくるコースで旅行したことがありま

す。延々と続く砂浜と日本海を眺めていて友人の一人が「おい!泳がへんか」と声をかけました。

若手の職員4人が「よっしゃー 泳ごう!」ということになり、宿泊先の出雲のホテルの夕食まで

には帰ってきますと伝言して次の駅でおりました。そして浜辺まで走っていきました。

瀬戸内海には大きな波がなく小波の状態ですがその日の日本海は大きな波が打ち寄せていました。

先頭の友人は飛び込んだとたんにパンツが脱げて素っ裸になってしまいました。

大きな波のうねりの中で 先を泳ぐ友人の頭が波に隠れます。

思う存分海水浴を楽しんで帰りました。

ところが驚いたことにこの場所こそ人麻呂が移り住んだ大崎鼻灯台の先 

都野津町の海だったのです。後で聞いた話ではこの海域は離岸流の発生する恐れもあったそうです。   

あゝ 人麻呂様 私どもの破廉恥なふるまいを心からお詫び申し上げます。









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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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