(九)菅原道真と坂出
- 2022/05/06
- 13:03
巻第一 3
残菊詩 - 残菊の詩
十韻于時年十六 - 十韻時に年十六。
十月玄英至 十月、玄英(げんえい)至る
三分歳候休 三分、歳候(さいこう)休す
暮陰芳草歇 暮陰、芳草(ほうそう)歇(つ)き
残色菊花周 残色、菊花周(あまね)し
為是開時晩 これ開く時の晩(おそ)きが為なり
当因発処稠 当(まさ)に発(ひら)く処の稠(ちゅう)なるに因るべし
染紅衰葉病 紅に染みて、衰葉病み
辞紫老茎惆 紫を辞して、老茎惆(しぼ)む
露洗香難尽 露洗へど香尽し難く
霜濃艶尚幽 霜濃けれど艶尚ほ幽(かすか)なり
低迷馮砌脚 低迷して、砌脚(せいきゃく)に馮(よ)り
倒亜映欄頭 倒亜(とうあ)して、欄頭(らんとう)に映ず
霧掩紗燈点 霧掩(おお)ひて、紗燈(しゃとう)点じ
風披匣麝浮 風披(ひら)きて、匣麝(こうじゃ)浮ぶ
蝶栖猶得夜 蝶栖(す)みて、猶ほ夜を得(え)
蜂採不知秋 蜂採りて、秋を知らず
已謝陶家酒 已に陶家の酒を謝す
将随麗水流 将に麗(麗+邑おおざと)水流れに随はむ
愛看寒咎急 愛(いつく)しみ看る、寒咎(かんき)急なるとき
秉燭豈春遊 燭を秉(と)る、豈(あに)春遊のみならんや
十月 - 冬の季になり、
この冬は陽気も衰休のときである。
陰雲の陽にかぐわしい草も枯れ果てたが、
菊だけは、尽(すが)れた色で咲き残っている。
それというのも、菊は開花の時が遅く、
それに密生して咲くからであろう。
枯れかかった葉は赤茶け、
古びた茎は紫もあせた。
さりながら、朝な朝な露しとどに結ぶも香りは失せず
霜深く置くも艶色は消えぬ。
或いは重く垂れて、砌石(みぎりいし)の辺(ほとり)に、
或いは仆れかかって、欄干の辺りに、
霧垂れ込めては、白き練絹(ねりぎぬ)に包まれた燈火の如く(黄菊)
風渡っては、麝香(じゃこう)の香りを撒き散らしたかのよう。
蝶は未だに花間を夜の宿とし、
蜂はなおも花間に蜜を求めて飛んで、秋の過ぎたも知らぬげ、
既に重陽の節の菊酒は過ぎたが、
菊水を飲んで長寿の縁(よすが)としたい。
暮れやすい冬の日差しの中に、しみじみと残菊を憐れぶ。
燭を執って夜遊ぶのは春夜に限ろうか。
残菊〘名〙 (「ざんきく」)とは
重陽の節供(陰暦九月九日)を過ぎて咲いている菊の花。また、秋の終わりから冬の初めに咲いている菊の花。咲き残った菊の花。残りの菊。十日の菊。《季・秋》
日本で 最初に「残菊」を詩に詠んだとされる菅原道真十六歳の作品である。
残菊は中国でも「破れて残る菊・傷んで残る菊」の意味だとされ、あまり詠まれていないらしい。
詩人大岡信は菅原道真ーうつしの美学において
「菅原道真の詩は、その「うつし」が生んだ、最もめざましい古代的実例であった。」
つまり菅原道真の詩は観察に徹した写実主義だった述べているがこの一六歳の時に詠
んだ 「残菊詩」においても彼の徹底した観察のすごさを教えられる
一年の内 十分の三は陽気がすべて衰える。陽気が去って、夕かげりの中に芳ばしい
草はすべて枯れ果ててしまった。
すでに九月が過ぎて菊の花は今やことごとくしおれ、すがれた色に咲き残っている。
菊は九月に開くもので、残色が十月になお著しいのは他の花に比べて花の開花の時期
が遅く、密生して咲くからであろう。枯れかかった葉は赤茶け、古びた茎の紫もあせた。
さりながら朝な夕な露しとどに結ぶも香りは失せず 霜深く置くも艶色は消えぬ。
まだ一六歳の若者が庭に咲く 小菊の たたづまいをじっと観察し続ける。
そして日本で最初に残菊の魅力を教えたのです
霧垂れ込めては、白き練絹(ねりぎぬ)に包まれた燈火の如く(黄菊)
風渡っては、麝香(じゃこう)の香りを撒き散らしたかのよう。
蝶は未だに花間を夜の宿とし、
蜂はなおも花間に蜜を求めて飛んで、秋の過ぎたも知らぬげ、
既に重陽の節の菊酒は過ぎたが、
菊水を飲んで長寿の縁(よすが)としたい。
暮れやすい冬の日差しの中に、しみじみと残菊を憐れぶ。
燭を執って夜遊ぶのは春夜に限ろうか。
と、結びます。
名〙 (「ざんきく」とも) 重陽の節供(陰暦九月九日)を過ぎて咲いている菊の花。また、秋の終わりから冬の初めに咲いている菊の花。咲き残った菊の花。残りの菊。十日の菊。《季・秋》
道真は坂出でも残菊を歌っています
巻第一 3
『菅家文草』04:305
対残菊詠所懐、 残菊に対して所懐を詠じ
寄物・忠両才子 物・忠両才子に寄す
思家一事乱無端 家を思へば 一事すら乱れて端はし無く
半畝華園寸歩難 半畝はんぼうの華園すら寸歩すること難かたし
偏愛夢中禾失尽 偏愛す 夢中に禾くゎの失ひ尽くることを
不知籬下菊開残 知らず 籬下に菊の開き残れることを
風情用筆臨時泣 風情は筆を用ゐて 時に臨んで泣き
霜気和刀毎夜寒 霜気は刀に和して 夜毎に寒し
莫使金精多詠取 金精をして 多く詠み取らしむることなかれ
明年分附後人看 明年は後人に分附ぶんぷして看みせん
「京に残る家族のことを思うとしどろに乱れてとりとめがない
館の庭先の一五坪ほどの庭先の一五坪ほどの花畑を散歩しようという気持ちにもなれない」
と詠い夜ごと寒くなっていく中でこの辺地で残菊を眺めることも今年の秋限りだ、
そして後任の受領にこの眺めを引き継ごうと詠む
寛平元(889)年9月、讃岐守の任期満了を来春に控え、知人ふたりに書き送った詩です。
そして九州に左遷され、詠まれた歌。
『菅家文草』06:451
「菅原道真「残菊に対(むか)ひて寒月を待つ」」 王朝漢詩選
菊はうっすら 月も欠けだし
無風流すら 動揺したし
俗人でなく 詩人 いっそう
心中で泣く 月は寒そう
[月初めて破却し 菊纔(わず)かに残る
漁夫樵夫(しょうふ) 意(こころ)を抑ふることに難からん
況(いわ)んや復(また) 詩人の俗物に非ぬをや
夜深く年暮れて 泣くなく相看(み)る]
残菊詩 - 残菊の詩
十韻于時年十六 - 十韻時に年十六。
十月玄英至 十月、玄英(げんえい)至る
三分歳候休 三分、歳候(さいこう)休す
暮陰芳草歇 暮陰、芳草(ほうそう)歇(つ)き
残色菊花周 残色、菊花周(あまね)し
為是開時晩 これ開く時の晩(おそ)きが為なり
当因発処稠 当(まさ)に発(ひら)く処の稠(ちゅう)なるに因るべし
染紅衰葉病 紅に染みて、衰葉病み
辞紫老茎惆 紫を辞して、老茎惆(しぼ)む
露洗香難尽 露洗へど香尽し難く
霜濃艶尚幽 霜濃けれど艶尚ほ幽(かすか)なり
低迷馮砌脚 低迷して、砌脚(せいきゃく)に馮(よ)り
倒亜映欄頭 倒亜(とうあ)して、欄頭(らんとう)に映ず
霧掩紗燈点 霧掩(おお)ひて、紗燈(しゃとう)点じ
風披匣麝浮 風披(ひら)きて、匣麝(こうじゃ)浮ぶ
蝶栖猶得夜 蝶栖(す)みて、猶ほ夜を得(え)
蜂採不知秋 蜂採りて、秋を知らず
已謝陶家酒 已に陶家の酒を謝す
将随麗水流 将に麗(麗+邑おおざと)水流れに随はむ
愛看寒咎急 愛(いつく)しみ看る、寒咎(かんき)急なるとき
秉燭豈春遊 燭を秉(と)る、豈(あに)春遊のみならんや
十月 - 冬の季になり、
この冬は陽気も衰休のときである。
陰雲の陽にかぐわしい草も枯れ果てたが、
菊だけは、尽(すが)れた色で咲き残っている。
それというのも、菊は開花の時が遅く、
それに密生して咲くからであろう。
枯れかかった葉は赤茶け、
古びた茎は紫もあせた。
さりながら、朝な朝な露しとどに結ぶも香りは失せず
霜深く置くも艶色は消えぬ。
或いは重く垂れて、砌石(みぎりいし)の辺(ほとり)に、
或いは仆れかかって、欄干の辺りに、
霧垂れ込めては、白き練絹(ねりぎぬ)に包まれた燈火の如く(黄菊)
風渡っては、麝香(じゃこう)の香りを撒き散らしたかのよう。
蝶は未だに花間を夜の宿とし、
蜂はなおも花間に蜜を求めて飛んで、秋の過ぎたも知らぬげ、
既に重陽の節の菊酒は過ぎたが、
菊水を飲んで長寿の縁(よすが)としたい。
暮れやすい冬の日差しの中に、しみじみと残菊を憐れぶ。
燭を執って夜遊ぶのは春夜に限ろうか。
残菊〘名〙 (「ざんきく」)とは
重陽の節供(陰暦九月九日)を過ぎて咲いている菊の花。また、秋の終わりから冬の初めに咲いている菊の花。咲き残った菊の花。残りの菊。十日の菊。《季・秋》
日本で 最初に「残菊」を詩に詠んだとされる菅原道真十六歳の作品である。
残菊は中国でも「破れて残る菊・傷んで残る菊」の意味だとされ、あまり詠まれていないらしい。
詩人大岡信は菅原道真ーうつしの美学において
「菅原道真の詩は、その「うつし」が生んだ、最もめざましい古代的実例であった。」
つまり菅原道真の詩は観察に徹した写実主義だった述べているがこの一六歳の時に詠
んだ 「残菊詩」においても彼の徹底した観察のすごさを教えられる
一年の内 十分の三は陽気がすべて衰える。陽気が去って、夕かげりの中に芳ばしい
草はすべて枯れ果ててしまった。
すでに九月が過ぎて菊の花は今やことごとくしおれ、すがれた色に咲き残っている。
菊は九月に開くもので、残色が十月になお著しいのは他の花に比べて花の開花の時期
が遅く、密生して咲くからであろう。枯れかかった葉は赤茶け、古びた茎の紫もあせた。
さりながら朝な夕な露しとどに結ぶも香りは失せず 霜深く置くも艶色は消えぬ。
まだ一六歳の若者が庭に咲く 小菊の たたづまいをじっと観察し続ける。
そして日本で最初に残菊の魅力を教えたのです
霧垂れ込めては、白き練絹(ねりぎぬ)に包まれた燈火の如く(黄菊)
風渡っては、麝香(じゃこう)の香りを撒き散らしたかのよう。
蝶は未だに花間を夜の宿とし、
蜂はなおも花間に蜜を求めて飛んで、秋の過ぎたも知らぬげ、
既に重陽の節の菊酒は過ぎたが、
菊水を飲んで長寿の縁(よすが)としたい。
暮れやすい冬の日差しの中に、しみじみと残菊を憐れぶ。
燭を執って夜遊ぶのは春夜に限ろうか。
と、結びます。
名〙 (「ざんきく」とも) 重陽の節供(陰暦九月九日)を過ぎて咲いている菊の花。また、秋の終わりから冬の初めに咲いている菊の花。咲き残った菊の花。残りの菊。十日の菊。《季・秋》
道真は坂出でも残菊を歌っています
巻第一 3
『菅家文草』04:305
対残菊詠所懐、 残菊に対して所懐を詠じ
寄物・忠両才子 物・忠両才子に寄す
思家一事乱無端 家を思へば 一事すら乱れて端はし無く
半畝華園寸歩難 半畝はんぼうの華園すら寸歩すること難かたし
偏愛夢中禾失尽 偏愛す 夢中に禾くゎの失ひ尽くることを
不知籬下菊開残 知らず 籬下に菊の開き残れることを
風情用筆臨時泣 風情は筆を用ゐて 時に臨んで泣き
霜気和刀毎夜寒 霜気は刀に和して 夜毎に寒し
莫使金精多詠取 金精をして 多く詠み取らしむることなかれ
明年分附後人看 明年は後人に分附ぶんぷして看みせん
「京に残る家族のことを思うとしどろに乱れてとりとめがない
館の庭先の一五坪ほどの庭先の一五坪ほどの花畑を散歩しようという気持ちにもなれない」
と詠い夜ごと寒くなっていく中でこの辺地で残菊を眺めることも今年の秋限りだ、
そして後任の受領にこの眺めを引き継ごうと詠む
寛平元(889)年9月、讃岐守の任期満了を来春に控え、知人ふたりに書き送った詩です。
そして九州に左遷され、詠まれた歌。
『菅家文草』06:451
「菅原道真「残菊に対(むか)ひて寒月を待つ」」 王朝漢詩選
菊はうっすら 月も欠けだし
無風流すら 動揺したし
俗人でなく 詩人 いっそう
心中で泣く 月は寒そう
[月初めて破却し 菊纔(わず)かに残る
漁夫樵夫(しょうふ) 意(こころ)を抑ふることに難からん
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