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(一九)臨死時自傷作歌鴨山

一九)臨死時自傷作歌鴨山
元明天皇の勧めを断り
人麻呂は娘の待つ都の津に急ぐ彼は時間のかかる山陰道を避け 瀬戸内海を尾道にわたるコースを選んだ
尾道から三次を越え 水運の中継基地として栄え、銀山街道としては宿場町でもあった町・浜原に人麻呂は  
宿をとった。すぐそばには江川が見えるこの川口には娘が待っている。
人麻呂の心は浮き立っていた
早朝人麻呂は馬を浜原の馬置き屋に返し徒歩で旅立った。美郷の奥には三瓶山火山があり溶岩流が駆け抜
けた跡である速水川が江川に流れ込んでおり馬では渡れなかったのである。人麻呂は速水川を渡り太田に向か
おうとしていた。ところが速水川には当時 橋がなく飛び石が置かれていた。だが川は増水しており飛び石の
上を超すほどの勢いで流れていた。しかし人麻呂は娘会いたさに案内人の制止を振り切り飛び石に向かった。
そして足を滑らせたのである。彼の体は江の川本流に向かった。春先だったとはいえ雪解け水が流れ込んでい
たと思われる。人麻呂の身体は激流の中を浮き沈みしながら流されていった。
幸い近くにいた住民が騒ぎを聞きつけ人麻呂を川べりに救い上げた。
その時人麻呂は最後の歌を詠む
題詞 柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首
原文 鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有
訓読 鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
かな かもやまの いはねしまける われをかも しらにといもが まちつつあるらむ
訳 鴨山の岩を枕に伏している私なのにそれとは知らず娘は待ち続けているのだろうか
その後人麻呂は何故か手を伸ばし かすかに笑みを浮かべる。
彼の手の先には美郷の 津の目山が 織姫が住んでいた音羽山によく似ており
人麻呂には織姫の姿が見えたのではないだろうか。
つまり彦星である人麻呂と
織姫は美郷の天空で永遠に
天の川のたもとで星になり
輝き続けるのである。
音羽山
美郷の津ノ目山

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プロフィール

無庵

Author:無庵
忘れられた古代港がある。都から遠く離れしかも主要航路でなかった北四国側にあったこの港に、軍王、人麻呂、道真、崇徳院、西行、寂念など飛鳥、平安時代を代表する詩歌人が足跡を残す。しかも彼らにとっていずれも重要な意味を持つ作品を残している。坂出松山の津はまさに奇跡の港と言えよう。
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